ヘンプの歴史と植民地時代のアメリカ

ヘンプ・ヒストリー・ウィーク2015が近づいてきました。ヘンプ・ヒストリー・ウィークの一つはアメリカにおけるヘンプの潜在的利点について話すことですが、アメリカにおけるヘンプの歴史は植民地時代の始まりまでさかのぼります。実際、最初の移住者たちがヘンプを持ち込んだのです。それも種子としてだけではなく。ヘンプはメイフラワー号自体に、帆布やロープ索具として乗っていました。しかしそれは植民地時代のアメリカにおけるヘンプのほんの始まりの“種”に過ぎませんでした。ヘンプは予期せぬ形で植民地に広がっていったのです。

イギリスとヘンプの必要性

植民地アメリカにおけるヘンプの重要性は、植民地時代より前にさかのぼります。15世紀の終わり頃、イギリスが海軍国として成長し始めた時、イギリスが直面した最大の難関の一つは、帆船を完全に装備するのに十分なヘンプを確保することでした。これは大英帝国にとって長年の問題だったのです。そしてイギリスの敵国フランスは安定したヘンプ供給を持っていたので、イギリス王はヘンプの確保が必須であると感じました。

イギリスはこの問題を解決するために、アメリカの植民地でヘンプを栽培するように命じました。安定した生のヘンプの供給を確保し、世界権威としてイギリスの地位を確固たるものとすることが目的でした。しかしこの計画はそれほどうまくいきませんでした。アメリカのイギリス植民地が大きくなるにつれ、植民地自体も生のヘンプを必要としたからです。最初の造船会社は1629年にマサチューセッツ湾会社によって設立されました。そして彼らもイギリスと同様にヘンプを必要としていました。

造船のほか、急成長しつつあった植民地の家内産業が、イギリスのヘンプへの渇望によって妨げられました。これらの産業は植民地内の衣類や家具を生産していたので、ヘンプなどの原材料が必要だったのです。イギリスは初期アメリカの産業化を遅らせる、または止める法律を作ろうとしましたが、失敗しました。植民地内で生産されたヘンプ作物のほとんどが、イギリスに到達することはありませんでした。このことは(その他多くの事象とともに)緊張を引き起こしました。

初期アメリカにおけるヘンプ

植民地が繁栄するにしたがって、植民地のヘンプに対する依存も強まりました。 その結果、一部の植民地では農家にヘンプ栽培を命じる法律がありました。若いアメリカ経済における法定通貨として使われてさえいたのです。この時点で、アメリカ人は古代の人々と同じかそれ以上にさまざまな方法で、ヘンプを活用していました。彼らはロープや布を生産しました。また種子からはランプに使うオイルを抽出しました。それらを物々交換し、家族をサポートするために使っていたのです。

「ヘンプは国の富&防護にとって第一に必要なものである」—トーマス・ジェファーソン

ヘンプは植民地アメリカにおいて必需品でした。実際、子供向けの自然の本によると、ベンジャミン・フランクリン自身がアメリカの歴史において有名な(作り話であったとしても)日に、凧に鍵を固定するのにヘンプ紐を使用しています。ベンジャミン・フランクリンは植民地で最初のヘンプ製紙工場の一つを開業しました。

アメリカとイギリスの関係は1760年以降悪化し始めました。イギリスは、王権を支えるのとは反対に、独自の産業を成長させる植民地に失望しました。この時期にイギリスは、アメリカ経済を深刻に妨げる法律を可決し始めたのです。砂糖法や印紙条例、タウンゼンド諸法などの法律は、植民地に重い税金をかけたため、王権に対する反感が生まれました。

革命とヘンプの結集点

王権に対する反感が拡大するにつれ、独立運動におけるヘンプも目立ち始めました。トーマス・ジェファーソンやジョージ・ワシントンといった特筆すべき独立運動のリーダーは、この頃(少なくとも時々は)ヘンプ栽培者だったのです。

最終的に革命が始まり、植民地は独立を宣言しました。トーマス・ジェファーソンはアメリカ独立宣言書の草案をヘンプ紙に書きました。しかしこの独立宣言と革命とともにもう一つの必要性が出てきました。アメリカ国旗です。それ以前に大陸勢力によって使われていた側は「ユニオンジャック」の旗でした。しかしこの旗は英国国旗に影響されたものだったので、混乱を引き起こしました。ボストン包囲戦がイギリス支持者によって降伏の印とみなされた頃にワシントンの基地にその国旗がはためいていた時、新しい旗が必要であると決定されました。

「ヘンプシードを多く生産し、そこら中に種を蒔け」—ジョージ・ワシントン

有名な裁縫師だったワシントンの友人で、苦労している未亡人だったベッツィー・ロスが新しい国旗の裁縫師に選ばれました。植民地の要素を統一し、人々がその下に集まることのできる国旗です。そしてその国旗を縫うために、ロス夫人は耐久性のあるヘンプ布を選びました。

ヘンプ製の旗の下で、植民地は戦争に勝ち、アメリカ合衆国は世界を変えるでしょう。ヘンプは違法化されるまで、アメリカの一般的な作物でした。その突出した経済的な利益は、ジュートなど安価な輸入品によって弱められてしまいましたが。剥皮機はまだ発明されておらず、また輸入された繊維を処理するのには必要な労働力の方が少なかったのです。

今私たちは新たな革命の最先端にいます。テクノロジーにより、大量の新たなヘンプの用途が可能になりましたが、アメリカにおけるヘンプ栽培は今も違法とされています。ヘンプはイギリスから独立する植民地の中心にあったことを考えると、アメリカ国民が今自由にヘンプを栽培できないことはひどく皮肉的です。今年のヘンプ・ヒストリー・ウィークには上院議員や下院議員に電話して、アメリカのヘンプの歴史を思い出させましょう。